作者Giabbit (蒸鱼大将军)
看板WarringState
标题信长公记 卷十五 武田典厩生害﹑下曾弥忠节之事
时间Sat May 25 01:29:54 2002
武田典厩生害﹑ 下曾弥忠节之事
三月十三日﹑信长公﹑岩村より弥羽根まで御阵を移さる。十四日﹑平谷
を打ち越し﹑なみあひに御阵取り。爰にて﹑武田四郎父子の颈﹑关可兵卫
.桑原介六﹑もたせ参り﹑御目に悬けられ候。则ち﹑矢部善七郎に﹑仰せ
付けられ﹑饭田へ持たせ遗はさる。十五日午の刻より雨つよく降り﹑其の
日﹑饭田に御阵を悬けさせられ﹑四郎父子の颈﹑饭田に悬け置かれ﹑上下
见物仕り候。十六日﹑御逗留。
信州さくの郡小诸に﹑下曾根觉云轩楯笼り候。武田典厩﹑下そね凭み﹑
才廿骑ばかりにて罢越され候。肯申し﹑二の丸まで呼び入れ﹑无情に心を
替へ﹑取卷き﹑既に家に火を悬け候。典厩が若众に朝比奈弥四郎とて候ひ
キ。今度﹑讨死を究め﹑上原在阵の时﹑诹访の要明寺の长老を道师に凭み
﹑戒を保ち﹑道号をつけ候て颈に悬け﹑最後に切つて回り﹑典厩を介错し
﹑追腹仕り﹑名誉﹑是非なき题目なり。典厩を凭みし侄女智百井と申す仁
﹑是れも一所に腹を仕り﹑侍分十一人生害させ﹑典厩の颈﹑御忠节として
﹑下曾根持ち来たり﹑进上仕り候。则ち﹑长谷川与次にもたせ参る。
三月十六日﹑饭田御逗留の时﹑典厩の首﹑信长公へ御目に悬けされ候。
仁科五郎乘り候秘藏の芦毛马﹑武田四郎乘马大鹿毛﹑是れ又﹑进せられ候
ところ﹑大鹿毛は﹑三位中将信忠卿へ参させられ﹑武田四郎胜赖最後にさ
ゝれらる刀﹑泷川左近かたより﹑信长公へ上せ申され候。使に只候の稻田
九藏に御小袖下され﹑忝き次第なり。
武田四郎﹑同太郎﹑武田典厩﹑仁科五郎四人の首﹑长谷川宗仁に仰せ付
けられ﹑京都へ上せ﹑狱门に悬けらるべきの由候て﹑御上京候なり。
三月十七日﹑信长公﹑饭田より大岛を御通りなされ﹑饭岛に至りて御阵
取り。
--
※ 发信站: 批踢踢实业坊(ptt.cc)
◆ From: 61.61.12.234