作者pleiade (六翼天使)
看板WarringState
标题幸若舞「敦盛」全文略译(三)
时间Sun Apr 7 14:53:36 2002
あらいたはしや敦盛﹑心は猛く勇ませ给へども﹑
ひね武者の熊谷にて﹑事の数ともせず﹑やすやすと取って押さへ申し﹑
甲ちぎってからりと舍て﹑腰の刀を引ん拔いて﹑
首を取らんとしたりしが﹑あまり手弱く思ひ﹑
さしうつむいて相好を见奉るに﹑薄化妆に铁浆黑く﹑
眉太う扫かせ﹑さもやごとなき殿上人の﹑
年龄十四﹑五かと见えさせ给ふ。熊谷少し押し宽げ申し﹑
「上ろうは平家方にてはいかなる人の君达にて御座候ぞ。
御名字を御名乘り候へよ」。
あらいたはしや敦盛﹑老武者の熊谷に组み敷かれさせ给ひ﹑
よに苦しげなる息をつき﹑「实にや熊谷は﹑
文武二道の名人とこそ闻きしに﹑何とて合战に法なき事をば申すぞ。
我等は天下の朝臣とし﹑云客の座敷につらなって﹑
诗歌管弦をのみ长じたりし身なりしかども﹑
此の二﹑三か年は一门の运尽き﹑帝都をあくがれ出でしより以来﹑
武士のいさめる法をば﹑あらあら闻いて候ぞや。
夫人の名乘ると言ふは﹑互の阵にむらがって﹑军乱れの折柄﹑
矢なき箙を腰につけ﹑锷なき太刀を拔き持って﹑
これはそんぢゃう其の国の何某﹑たれがしと名乘って﹑
打物の胜负をし﹑又组んで胜负を决するとこそ闻きしに﹑
我は仇に押さへられ﹑下よりも名乘る法とは﹑
今こそ闻いて候へ。あう心得たり。熊谷名字を名乘らせ首を取って﹑
汝が主の义经に见せんためな。よしよし﹑
夫は世に隐れも有るまじきぞ。唯それがしがくびをとって﹑
汝が主の义经に见せよ。见知ることも有るべし。
それが见知らぬものならば﹑蒲の冠者に见せて候へ。
蒲の冠者が见知らずは﹑此の度平家の生捕のいかほども多くあるべきに﹑
引き向けて见せて候へ。夫が见知らぬものならば﹑
名もなき者の首ぞと思ひ候へ。丛に舍て置けよ。
舍てての後は用もなし﹑熊谷。」とこそ仰せけれ。
熊谷あまりのいたはしさに﹑又御颜を见奉るに﹑
婵娟たる两鬓は秋の蝉の羽にたぐひ﹑
宛转たりし双蛾は远山の月に相同じ。业平の古へ交野の野边の狩衣﹑
袖打ち拂ふ雪の下﹑翠黛红颜﹑锦绣の粧ひを﹑
たとへば绘には写すとも﹑此の上ろうの御姿を﹑
笔にもいかで尽くすべき。「さては上ろうは﹑
武士のいさめる法をば委しく知ろしめされぬや。
世にも忧きは我等にて候。君の御意に从って身を助けんと思へば﹑
亲と争ひ子と战ひ﹑はからざる罪をのみ作るは武士のならひなり。
花の下の半日の客﹑月の前の一夜の友﹑清风朗月飞花落叶の戏れも﹑
今生ならぬ机缘と承る。此の度の合战に人しもこそ多きに﹑
熊谷が参り合ふ事を前世の事と思し召し﹑御名乘り候へ。
御首を赐はって﹑唯奉公の其の忠に後世を吊ひ申すべし」。
敦盛は闻こし召し﹑「名乘らじ物とは思へども﹑
後世を问はんず嬉しきに﹑さらば名乘りて闻かすべし。
我をば谁とか思ふらん。忝くも净海の御舍弟にておはします﹑
门わきの修理の大夫经盛の三男に﹑いまだ无官を假名にて﹑
大夫敦盛生年は十六岁﹑军は是が始めなり。
さのみに物な寻ねそ﹑はや首を取れや熊谷」。熊谷承り﹑
「さては上ろうは桓武の御末にて御座有りけるや。御年は十六岁﹑
なにがしが嫡子の直家﹑さては御同年に参って候や。
かほどなき直家﹑见目恶くいろ黑く﹑情けも知らぬ东夷と思へども﹑
我子と思へば不悯なり。あら无惨や直家﹑直实もろともに出で﹑
今朝一ノ谷の大手にて﹑敌稀ゐの三郎が放す矢を﹑
弓手の腕に受け止め﹑なにがしに向かって﹑
『手を负ひて候』と申せしを﹑『痛手か薄手か』
と问はばやと思ひしが﹑『いやいや熊谷ほどの弓取が﹑
仇味方の目の前にて问ふべきか』と思ひ﹑はったと睨んで﹑
『あら言ふに甲斐なの直家や﹑
其の手が大事ならばそこにて腹を切り候へ。
また薄手にて有るならば﹑仇と合うて讨死をせよ。
味方の阵を枕とし﹑私の党の名ばしくたすな』と言うてあれば﹑
真ぞと思ひ﹑なにがしが片をまた二目ともみずし﹑
仇の中へ驱け入ってより後は﹑其の行卫をも存ぜず。
さても熊谷﹑この度の合战につれなく命ながらへ﹑武藏の国に下りつつ﹑
直家が母に会ひて讨たれたると言ふならば﹑甘露の母が叹くべし。
经盛とやらんの﹑花のやうなる若君を渚に一人残し置き﹑
さこそは叹かせ给ふらめ。经盛の御愁叹と﹑
さて直实が思ひを﹑物によくよくたとふれば﹑流水同じ水なれど﹑
渊濑に变るごとくなり。よくよく物を案ずるに﹑
此の君の御首を赐はり﹑直实が恩赏に预りてあればとて﹑
千年を保ち﹑さて万年の龄かや。末代の物语に助け申さばや。」と思ひ﹑
「いかに敦盛﹑平家方にて仰せらるべき事は﹑
『武藏の熊谷といふ者と﹑波打ちぎはにて组みは组んで有りつれども﹑
我子の直家によそへ﹑助け申して候』と﹑御物语候へ」とて﹑
取って引っ立て奉り﹑铠に付いたる尘打ち拂ひ﹑马に抱き乘せ奉り﹑
直实もともに马に乘り﹑西をさいて五町ばかり行き过ぎ﹑
後をきっと见てあれば﹑近江源氏の大将に﹑目贺田﹑马渊﹑
伊庭﹑三井﹑四目结の旗ささせ﹑五百骑ばかりで追っかくる。
弓手を见てあれば﹑成田﹑平山控へたり。右手を见ければ﹑
土肥殿七骑で追っかくる。上の山には﹑御大将判官白旗をささせ﹑
御近习にとっては﹑武藏坊弁庆﹑常陆坊海尊﹑龟井﹑片冈﹑伊势﹑
骏河﹑此の人々を先として﹑声声に申すやう﹑
「武藏の熊谷は仇と组んづるが﹑既に助くるは二心と觉えたり。
二心なるならば﹑熊谷共に讨ち取れ」と﹑
我も我もと追っかくる。此の君の有样﹑
物によくよくたとふれば﹑笼の中の鸟とかや﹑
网代の冰鱼のごとくにも﹑漏りて出づべきやうはなし。
「人手にかけ申さんよりも﹑直实が手にかけ﹑後世を某吊はばや」と思ひて﹑
又むづと组んで﹑どうど落ち﹑
いたはしや御首を水もたまらず搔き落し﹑目より高く差し上げ﹑
鬼のやうなる熊谷も﹑东西を知らず泣きゐたり。
略译:
虽说敦盛一直想反击熊谷,但是熊谷身经百战,
非常轻松的就化解了敦盛的攻势、把敦盛压倒在地。
熊谷迅速的剥下敦盛身上的铠甲,一边拔出佩刀、打算取下敦盛的首级,
不过熊谷却对对手的文弱感到讶异,於是熊谷低下头去、想看看敦盛长什麽样子。
一见之下,只见敦盛脸上薄薄的敷着粉、牙齿也用铁浆染黑、
眉毛刻意的画粗了,看来不过才十四五岁,应该是贵胄子弟。
熊谷稍微放松压着敦盛的手劲,开口问着敦盛:
「我看您应该是平家哪位大人的公子吧?请您自报您的名字吧!」
可怜的敦盛被熊谷压倒在地,苦恼的叹了口气之後开口:
「我也听过熊谷大人的大名,也知道您兼擅文武二道,
但是今日您怎麽对我说这种不合武士情理的话?
我平家之前是天下的霸主,一家尽是贵族,只懂得玩赏诗歌管弦;
但是这两三年家道中落,一家逼不得已的只得离开京都,
我们这些年轻一辈也才开始学习武士的规矩作法。
我听说:自报姓名,往往是在两方混战之中,
弹尽援绝之时,才能拔刀出鞘、自报姓名,与敌方一决高下。
像我现在这样,被敌人压在身下,岂有自报姓名的道理!
你就把我的首级带回去、让义经过目吧,我想他应该知道我是谁;
若是他不知道我是什麽人的话,就把我的首级拿给蒲之冠者(源范赖)看;
万一蒲之冠者也不知道我是谁,这次大战平家必定有不少人被俘,
就把我的首级拿给那些俘虏看,你也就知道我是谁了。
要是没有半个人知道我是谁的话,你就当你杀了个无名小辈,
随便找个地方把我的首级丢了就算了。」
听了敦盛的话,熊谷不禁对敦盛的遭遇生起恻隐之心,
再度开始打量起敦盛的长相:
只见敦盛的鬓角薄如蝉翼、双眉宛转如同天际新月,
身上穿着高雅的锦衣,加上年轻美好的容颜、一身华丽灿烂的装束,
就是再怎麽高明的画匠,也无法把眼前这年轻人的美貌给画下来。
看着敦盛,熊谷开口:
「唉,看样子公子您还不完全懂得武将的规矩作法啊!
我们武士的宿命,就是造下数不尽的业障。
但是不论是共同赏花玩月般短促的一夜之缘、
或者是在观樱赏枫的时候错肩而过,也都是前世就注定好了的因缘;
这次参加这场战事的人如此之多,却偏偏是由我遇上了您,
就请您告诉我您的大名,让我以後能在取下您的首级之後,
还能将您的名字流传後世、让後世的人为您的忠诚感动。」
「我原本不打算报名字、不愿让後世的人知道我是谁,
既然你如此坚持的话,我就告诉你吧:
你以为我是谁?我是修理大夫经盛的三子,无官大夫敦盛,
今年十六岁,今天这是我的初阵,你应该没有话要问了吧?
快点杀了我吧,熊谷。」
听到敦盛的话,熊谷兀自思索了起来:
「那麽您就是平家人了!您今年十六岁,正巧与我的儿子同年纪。
虽说我的儿子直家与您同年纪,但是他长得其貌不扬、又黑又丑,
虽说我是个不懂人情世故的东国人(那个时代,东国=落後),
但是一想到那是自己的儿子,我还是会为他觉得难过。
我那可怜的儿子今早跟我一起参战,却被敌将给射伤了左手,
他那时对我说:『我的手受伤了。』
我本想问他:『伤势重还是轻?』
但是一想到我身为武士,怎麽能在大庭广众之下问儿子这种问题,
所以我就瞪了他一眼说:『你在这儿抱怨什麽?
如果手伤那麽严重的话,那你乾脆在这儿切腹算了;
要是不严重的话,就去跟敌人互砍而死吧!千万别丢光我们熊谷家的面子了!』
说完以後,我再也没有正眼看过我的儿子。
今早他跟我分开了之後,我也不知道他现在人在哪里、还平不平安,
而且虽说我说得这麽乾脆,但是要是直家真的死了,
我回到武藏、告诉直家的娘(直实的夫人)这件事情,
想必直家的娘也会悲叹不已吧?
经盛大人想必也是一样:把您一个人留在这儿,
经盛大人一定也非常的担心吧?
天下父母心,要是由我来打比方的话,
经盛大人的担忧必定是如同涓涓细流一般的绵绵不断、
又像细流汇集成大海般的无穷无尽。
况且就是取了您的首级,我得了什麽赏赐,
这赏赐也不可能千年、万年都不变啊!
既然如此,我还不如救您一命。」
想到这儿,熊谷便开口对敦盛说:
「虽说您是平家的人,但是要是我跟我的儿子一起为您求情,
想必能为您保住性命也说不定。」
说着,熊谷扶起敦盛,替敦盛拍去身上的尘土之後、便抱着敦盛上马。
两人同乘一马的向西走了不过五町(约500公尺),
背後出现了五百骑的追兵,左手那儿也来了两支人马、
右手那儿也有许多追兵,山头上扬着大将义经的白旗,
义经的亲卫大将通通都在山上,一边大呼着:
「武藏的熊谷是不是跟敌人联手了?既然放过敌人不杀,
那就是有通敌之心了!如果真是如此的话,就连熊谷一起杀掉!」
一边喊着,追兵越逼越近,此时的熊谷与敦盛真的是笼中之鸟、
网中之鱼一般,想逃也逃不掉,
「与其让他们杀了敦盛,不如由我动手,以後也由我祭祀他吧!」
想到这儿,熊谷再度抱住敦盛、两人从马上滚下,
敦盛的首级从颈子上滚落,熊谷高举敦盛的首级过眼,
而鬼一般的猛将熊谷也早已哭得不辨东西。
--
信玄が日本最强の军团といわれるまで育てあげた武田军团が
どうしてこんなに简单に亡んでいたか
胜赖が恶かったのか﹑御亲类众が恶かったのか
それとも侧进が恶かったのか......
それを见つづけていた甲斐の山々は今も默して语らない
~武田胜赖终章
--
※ 发信站: 批踢踢实业坊(ptt.cc)
◆ From: 211.74.17.184