作者pleiade (六翼天使)
看板WarringState
标题幸若舞「敦盛」全文略译(二)
时间Sun Apr 7 14:53:17 2002
あらいたはしや敦盛﹑熊谷と闻くからに遁れがたくはおぼせども﹑
驹を早めて落ち给ふが﹑遥かの冲を御览ずれば﹑御座船近く浮かんだり。
「あの船を招き寄せ﹑乘らうずもの」と思召し﹑
腰よりも红に﹑日を出だしたる扇を拔き﹑はらりと开かせ给ひて﹑
冲なる船を目にかけて﹑ひらりひらりと招かるる。
船中の人々に﹑人しもこそ多きに﹑门わき殿は御览じて﹑
「母衣かけ武者の船招くは﹑左马の头行盛か﹑
无官の大夫敦盛か。あれ见よ」との御掟なり。
恶七兵卫承り﹑「いづくにさう」と申して﹑船梁に突っ立ち上がり﹑
长刀を杖につき﹑甲を脱いできっと见て﹑
「いたはしの御事や。何として御座船に召し迟れさせたまひけん。
经盛の御子息に﹑无官の大夫敦盛にてわたらせ给ひ候ぞや。
召されたる御马の毛﹑铠の毛に至るまで﹑まがふ处もましまさず。
いたはしさよ。」と申しけり。
门わき殿は闻こし召し﹑「敦盛ならばこの船を﹑
押し寄せて助けよ。」水主楫取承り﹑橹櫂かぢを立て直し﹑
船を渚に寄せんとす。
この程二三日﹑吹きしをりたる北风の名残の波は今日も立つ。
风は木を折って﹑波はごうじゃの如くなり。白浪せがいを洗ひ﹑
砂を天に上ぐれば﹑只雪の山の如くなり。
小船こそおのづから﹑弓手へも右手へも思ふさまにはあつかはるれ。
殊に优れたる大船に﹑大势は召されたり。
叠む波に堰かれつつ﹑次第次第に出づれども﹑
矶へ寄るべきやうはなし。
敦盛此の由を御览じて﹑「いやいや此の马を海上にうちひて﹑
泳がせてあの船に乘らうずものを。」とおぼしめし﹑
驹の手纲かい缲って﹑海上にうちひて﹑浮きぬ沈みぬ泳がせらる。
いたはしや敦盛の﹑老武者にてましまさば﹑
三头に乘り下がって时々声をかけ给はば﹑御马は逸物なり﹑
冲の御座船に难なく马は付くべきに﹑若武者の悲しさは﹑
马に离れてかなはじと思し召されける间﹑前嵩に乘りかかって﹑
左右の镫を强く踏み﹑手纲にすがり给ひて﹑
浮きぬ沈みぬ泳がせらる。马逸物とは申せども﹑
叠む波に堰かれつつ﹑早泳ぎかねてぞみえにける。
熊谷此の由见参らせ﹑「まさなの平家や﹑
冲の御座船は遥かに程を隔てつつ﹑しかも波风荒うして﹑
いかでかなはせ给ふべき。引返し御胜负あれ。さなきものならば﹑
中差を参らせん。」と﹑弓と矢を打ちつがって﹑
そぞろ引いて悬かりけり。敦盛御览じて﹑
「なかなかさび矢に射ひてられ﹑一门の名折り」と思し召し﹑
驹の手纲引返して﹑远浅になりしかば﹑水鞠ばっと蹴させて﹑
中差取って打ちつがひ﹑かうこそ咏じ给ひけれ。
梓弓矢を差し矧げて引く时は返す事をば知るかそも君
熊谷も心有る兵にて﹑「あっ」と思ひ﹑左右の镫を蹴放って﹑
返歌とおぼしくてかくばかり﹑
平题の甲矢はづれんと思ひしに矢といふ声に立ちぞとどまる。
かやうに咏じて待ち受け申す。
さる间﹑敦盛弓矢をからりと投げ舍て给ひ﹑御配刀引ん拔いて﹑
受けて见よとて打たれたり。熊谷さらりと受け流し﹑
取って直してちゃうど打つ。二打ち三打ち﹑
ちゃうちゃうと打合はせ﹑互いに胜负见えざれば﹑
「よれ﹑组まん」「尤」とて﹑打物互にからりと舍て﹑
铠の袖を引っ违へ﹑むづと组んで二人が两马の间へどうと落つる。
略译:
被熊谷这麽一追,敦盛狼狈万分,急急催马想找个地方躲起来,
无意之间,敦盛瞄到了一旁的一艘大船,
「对了,我何不叫那艘船停下来、让我上去?」
想着,敦盛便从腰间抽出扇子,拿在手上轻轻的迎风招展。
船上的门协大人(平教盛,敦盛的叔叔)看到了这一幕,
便叫来了恶七兵卫(平景清)吩咐说:
「快去看看那个人到底是左马头行盛、或是无官大夫敦盛?」
听了教盛的命令,恶七兵卫站上船梁仔细看了会儿之後,
便回报教盛说:「从那人的穿着打扮来看,应该是无官大夫敦盛,
但是他怎麽会没搭上船呢?这真是太糟糕了!」
听了恶七兵卫的报告,教盛下令:
「既然那人是敦盛,我们就该靠到岸边救他上船。」
听了教盛的命令,掌舵、摇桨的人便立刻开始打算靠岸。
可是那几天正巧风浪极大、波涛汹涌,虽说平家的船只都是大船、数目也很多,
不过遇到此等风浪,仍旧是无法成功靠岸。
看到船靠不了岸,敦盛心想:
「如果船没法子靠岸的话,那还不如我自己游过去算了。」
想着,敦盛便策马入水、慢慢朝平家的船队游去,
如果是懂得如何调整人马平衡的老练武士的话,
骑着这匹名马,必定能够成功的搭上船;
但是敦盛不过是个初出茅庐的年轻武将,不懂得怎麽乘马破浪,
只能载浮载沈的、缓缓向平家的船队前进。
看到敦盛作势要上船,熊谷心中暗叫不妙:
(平家以水军闻名,很多武将都深识水性。)
「虽说船离岸如此之远、风浪又这麽大,但是他应该上得了船吧?
不行,非得把他追回来打一场不可......
不如这样吧!我射箭把他逼回来!」
想着,熊谷弯弓搭箭、瞄准敦盛就是一箭,敦盛心想:
「要是让这种生锈的箭给射着了,有损我平家的威风!」
於是敦盛勒马上岸、一边一箭射向熊谷、同时开口吟道:
「梓弓矢を差し矧げて引く时は返す事をば知るかそも君」
(略译:今日你拿箭射我,可是你可曾想过:你也会有被人瞄准的时候?)
熊谷在诗歌方面也颇有造诣,一听到敦盛的和歌,
熊谷惊愕的「啊」了一声,用力一夹马腹、随即思索出一首答歌:
平题の甲矢はづれんと思ひしに矢といふ声に立ちぞとどまる
(略译:我原本以为我射歪了,
没想到你竟是发出了「啊」的一声、勒马立於该地。)
就在两人诗歌唱和的这时候,敦盛把手中的弓箭丢在一旁,
拔刀出鞘、开始往熊谷砍去。
而熊谷轻松自在的挡下敦盛的攻击,一边伺机反击,
两人交锋数次,始终不分胜负,此时两人各自开口:
「放马过来!」
「看我的!」
一边将手边的武器丢在地上,抓着对方的铠甲袖子,
刹那间,两人抱在一起从马背上摔落、滚到地上。
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信玄が日本最强の军团といわれるまで育てあげた武田军团が
どうしてこんなに简单に亡んでいたか
胜赖が恶かったのか﹑御亲类众が恶かったのか
それとも侧进が恶かったのか......
それを见つづけていた甲斐の山々は今も默して语らない
~武田胜赖终章
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