作者xop (崇尚希臘 卻很怕熱)
看板Murakami_Ryu
標題すべての男は消耗品である。
時間Sat Jun 23 02:34:06 2007
http://myurl.com.tw/8t77 → AMAZON的網頁
在紀伊國屋裝文學氣息,看到這本很詭異的書名。想也沒多想就把他帶回
來了,雖然還沒看完...噢!順帶一提,這本可能是有中譯版,有興趣的人可
以找來看看。
翻開書頁之前,原以為內容是要寫給女人看的,批評男人的是是非非。果
然村上龍也不是盞省油的燈,根本就是要寫給男人看,而且很故意的用了這個
帶著譴責性的標題。
書中不但大談女人,而且還帶了一點兒童不宜的內容進去,以男性的角度
來述說女人的種種...不過我還沒看完,或許後面會有其他轉向男人的攻擊也
說不定。
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【內容摘要】 「かわいい女とかわいくない女」
いい女、かわいい女が出来あがるためには、父親の存在が重要だと思う。
これは、心理学のレベルの話だ。レベルというのは、話題の高尚さとか下品
さということではなくて、分野のちがいということだ。
(中略)
あたりまえの話だが、いろんな女がいる。プスは論外だ。プスにも素晴し
い女はいるが、内面の輝きが表層に表れるというのは、ひとつの転倒にすぎ
ない。
わかりやすくいおう。プスの中にも社会的に素晴しい女はいる。
有用な女
だ。だが、最近の女性雑誌がよく特集しているように、内面を磨けば顔形ま
で美しくなるというのは大嘘だ。
プスは論外だ、とオレはいうが、どの時代だろうが、プスが大量に売れ
残ったという話は聞かない。デパートや遊園地に行くと、すげえ! と大声
をだしたくなるようなプスが、平気で結婚していて、子供なんか連れている。
プスとやる男もいるのだ。やらせてくれる女が、男によっては、もっとも大
切なのだから、それはしようがないことかもしれない。
なんだか話がややこしくなってきたが、ややこしさついでにもうひとつい
うと、プスの標準も非常に「制度」的だということ。たとえば平安時代の美
女は、今見るとプスだ。標準はまったく社会的、制度的なのだが、だからと
いって、平安時代の美女やニューギニア高地人の美女が好きだという人は、
ごく少ないだろう。
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由此可見他除了是社會觀察家,還是個毒舌派吧 :p
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初次PO文 ^^"
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※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc)
◆ From: 61.62.11.236
※ 編輯: xop 來自: 61.62.11.236 (06/23 03:43)