作者CrystalDays (Endless World)
看板MISIA
標題[新聞] MISIA:平和を歌うときには、子どもが自
時間Tue Jul 25 16:27:16 2023
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MISIA:平和を歌うときには、子どもが自分の夢を叶えられる世界を思い描いている
19歳でCDデビューし、R&Bを取り入れたサウンドが話題となったMISIA。
2年後に発表した『Everything』は圧倒的な歌唱力で250万枚の大ヒットを記録。その名
を広く知らしめた。
MISIAと矢野顕子が音楽でつながったのは2021年のこと。矢野が作った曲に、MISIAがコ
ーラスで参加したことがはじまりだった。
2022年の紅白歌合戦では紅組のトリをつとめ、矢野が書き下ろした『希望のうた』を力
強く歌い上げた。
MISIA:私、矢野さんの作るメロディーを歌ってみたいってずっと思っていて。矢野さ
んの音楽っていろんな要素をたくさん感じるんですけど、歌のメロディーがとってもシ
ンプルで余計なものがないというか、歌うほうに装飾する余白を残してくれてるってす
ごく感じて。
矢野:なるほど。
MISIA:ご自身で歌うときも、ライブによって表情が変わって、余白がすごくあって。
私もこの余白を自分の色で歌わせていただくと、どんなふうに矢野さんとMISIAの“化
学反応”があるのかなっていう思いと、矢野さんの土っぽいところのメロディー感って
いうんでしょうか。そこにすごく惹かれていて。
矢野:そうでしたか。最初にMISIAから曲をって言われたときに、「反戦歌を」って。
ちょうどロシアとウクライナの戦争が勃発したときだったから。でも、「私は反戦歌は
書けないけれども、避難してる人たち、そして難民として、自分ではどうしようもない
状況の中に否応なく置かれてしまった人たちのための曲なら書ける」ってお返事して、
そこから作り始めてジャスト6週間、ほぼ毎日毎日書きました。
書いては消し、書いては消し。メロディーも、詞の部分でも6週間、そばにずっとMISIA
がいたんです。で、歌ってるんです、私の隣で。私は彼女がこの歌を歌うために書いた
。それを、この飽きっぽい矢野顕子がですね、6週間もそれを保てたっていうのはすご
いことだと。
MISIA:6週間も私の歌声と…
矢野:はい、そうなんです。「もういいんじゃない?」といったって、どきやしないん
ですね。ずっとそばで歌ってくれてた。だからキーが…
MISIA:あ、キーチェンジしなかったと思います。いただいたままに歌いました。
矢野:でしょう?だからもう書いたときに、それはMISIAの歌、曲だったんです。
MISIA:しかも私、8分の6の歌を歌いたいってここ数年、ずっと思ってたんです。
矢野:え、そうだったの?まあ…!
MISIA:やっぱり8分の6というとソウルなどの音楽に多くあるリズムなので、歌いたい
っ!て思ってた。
矢野:演奏でもドラムでも、ウンタッタ・バーン!って、伴奏してて、めちゃくちゃ気
持ちいいんですよ。
戦後70年の年には、故郷・長崎の平和公園から歌を届けたMISIA。
彼女の歌に繰り返し出てくる「愛」や「希望」、「平和」という言葉に込められた思い
とは?
矢野:MISIAが平和を歌うとき、平和って言葉を使うときはどういうことを思い描いて
ますか。
MISIA:私はもう、絶対、子どもが自由に自分の夢をかなえるために全力で努力ができ
る世界。これが私の中の平和の世界の象徴なんですよね。
子どものころ、歌手になるために一生懸命頑張ることができたように、子どもたちもそ
ういうふうに頑張ることができるように。夢にチャレンジできないまま、戦いの中で子
どものときに命を落としてほしくないなって。
矢野:子どもたちね、なるほど。
MISIA:歌って祈りの部分がすごく大きいと思って。
矢野:それはありますね。
MISIA:歌で祈り続けたいって思っています。
2023/4/7 スイッチインタビュー「矢野顕子×MISIA」EP1より
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