作者CrystalDays (Endless World)
看板MISIA
标题[新闻] MISIAの母 伊藤瑞子さん 仕事と育児の
时间Thu Dec 15 22:31:38 2022
https://www.nhk.or.jp/fukuoka/lreport/article/000/26/
MISIAの母 伊藤瑞子さん 仕事と育児の先に见つけたもの
伊藤瑞子さん(77)。长男、长女、そして次女で歌手のMISIAさんを育てながら医师と
して働き続けてきました。
「ワーキングマザー」ということばもなかったころ、时代に先駆けて仕事と育児を両立
するため奋闘してきた伊藤さんに、これまでの経験とこれからの时代を生きるヒントを
うかがいました。
研究と育児 ぶつかった“両立の壁”
终戦を迎えた1945年生まれの伊藤さん。医师になった背景には、明治生まれの祖父の存
在があったといいます。
「“これからの时代は女の人も自分ひとりで生きていけるように、生きるすべを身につ
けなさい”というのが祖父の口癖でした。终戦で価値観が変わって、この先何があるか
わからないからというのがあったんだと思います。経済的な自立なしに女性の自立はな
いと思い浮かべる、とても现実的な子どもでした」
进路を考える中で思い浮かんだのは资格を取ること。医师を目指して长崎大学の医学部
に进学しましたが、女子学生は1割未満でした。当时は医师になっても结婚・出産を机
にやめる女性は多く、教授が授业中に「国立大学に女子はいらない。すぐに仕事を辞め
るから、育成しても税金のむだになる」と公言していたことをよく覚えているといいま
す。
そして、大学卒业の年に同级生の夫と结婚。学生时代から関心があった病理学の研究者
を目指し、助手となってまもなく、长男を出産しました。育休制度がなかった时代、认
可外の保育所に预けて産後6周间で仕事を再开しました。
しかし、年子の长女を出産したあと、次第に研究と育児の両立の壁にぶつかるようにな
ります。
「病理学は基础医学の分野です。当初は临床と违って夜勤などもなく、マイペースでや
れるかなと思ったのですが、基础医学は研究が命。研究のためには时间がいくらあって
も足りなくて、2回も十二指肠溃疡になってしまいました。考えが甘かったのだと思い
ます」
「病気になってごめんなさい」と言われて
当时、夫は外科医で勤务时间が长い上、単身赴任することもありました。いわゆる“ワ
ンオペ育児”だったという伊藤さん。特に苦労したのは子どもが病気になったときでし
た。互いの両亲は県外にいて、手助けを求めても到着までは夫妇のどちらかが休んで子
どもを见なければなりません。
「たいていの场合は私が休んだんですが、ときどきもめることがありました。あるとき
、朝からすごい势いでもめていたら、3歳になった长女が『病気になってごめんなさい
』って泣き出したんですね。もう今考えても涙が出るくらいかわいそうで、そのときは
一绪に泣いてしまいました」
仕事を辞めてしまおうかと何度も悩んだという伊藤さん。そんな伊藤さんを支えたのは
、先辈の女性医师の「あと3日、1周间顽张ってみようと思い、それが1か月、1年となっ
て、仕事を続けてきたよ」という励ましでした。
再スタートとMISIAさん诞生
めまぐるしく毎日を过ごし5年がたったころ、伊藤さんは夫が当时勤务していた长崎・
大村市の病院で研修医として再スタートを切ります。仕事と子育てを両立するにあたり
、いったん论文を提出して区切りを付けた上で、基础医学から临床へと进路を変更した
のです。研修医の期间を终えたあとは小児科医として働き始めました。院内には24时间
の保育所があり、ここで転机が访れます。
「小児科医として赤ちゃんと接したり、保育所を利用して夜勤もこなす看护师さんを见
たりしているうちに、自分ももう1人育ててみたいと思うようになりました。そして産
まれたのが次女のMISIAです」
「上2人とは7歳から8歳离れていて、みんなで育てたという感じです。1人目、2人目の
ときは私たちも肩の力が入っていたと思うんですが、3人目のMISIAには何かそういう力
が抜けて、のびのび育ったように思います。それで3人目がMISIAになったかと思います
」
一家で対马へ
MISIAさんが産まれてしばらくたったころ、离岛に新しい医疗を届けたいという夫の提
案で、长崎県の対马の病院に夫妇で赴任することになります。医疗资源が本土の半分し
かないという厳しい环境の中、365日24时间医疗を提供するためにがむしゃらに働いた
时期でしたが、常に家族で过ごす时间を持つようにしていました。
「幸い住まいと病院が近かったので、夕食は必ず家に帰って作ってみんなで食べてコミ
ュニケーションをとるようにしていました。そのときに学校のこととか子どもたちが话
したいことをしっかり闻いたりして、とにかく夕食は一绪にとるというのだけは大事に
していました。话すことで子どもたちの状态もわかるし、私たちがどんな仕事をしてい
るかも子どもたちに分かってもらえたりして。大人になってから子どもたちに闻くと、
母亲は病気の子どものために働いているんだから、自分たちが我慢しなきゃいけないっ
て言い闻かせていた时もあったようです。家ではあまり仕事のことを话さないという方
もいますが、亲の仕事や社会に対する责任を子どもたちに理解してもらう上では、私は
话してきてよかったと思っています」
やがて长男と长女は进学のため、岛を出ます。このころ、伊藤さんはMISIAさんが眠っ
たころを见计らって仕事に戻る日々が続いていましたが・・・。
「いつのころからか、眠ったふりをしてくれていることに気がついて。お互いそのこと
にはずっと触れずにいましたが、最近本人(MISIAさん)に『眠ったふりをしていたこ
とがあったよね』と言ったら、『うん、出かけたあとは自分で好きに本を読んだりでき
たから楽しかったんだよ』って答えたんです。ずっと我慢させていたのかなと思って何
も言えなかったんですが、ちゃんと楽しんでくれていたんだなとほっとすると同时に、
子どもってすごいなと思いました」
24时间の病児保育を整备
対马にいた顷、勤务先の病院の新筑移転の话が持ち上がります。诊疗部长だった伊藤さ
んは、24时间いつでも利用できる保育园と病児保育施设を院内に设けて働きやすい环境
を整えることを会议で提案しました。医疗过疎地域の人材确保につながる画期的な提案
として県の予算があてられ、実现にこぎつけました。
「整备から30年以上たち、病院はさらに移転しましたが、24时间の保育园と病児保育は
今もあるそうです。男性も女性も职员全员が働きやすい环境になったのではないかと思
って、とてもよかったです」
福冈に転居 地域に根ざす中で感じたこと
対马で10年间を过ごした伊藤さん。福冈市に移って一般の病院に勤务したのち、小児科
のクリニックを开业します。ちょうど亲の介护も重なり、住居と兼ねた诊疗所にしまし
た。地域に根ざして子どもの成长を见守る仕事にやりがいを感じる中、あることが気に
なるようになります。
「ここ何年も共働きの家庭が増えているんですが、子どもが热を出したと言って夕方駆
け込んでくるのは必ず母亲なんです。ほかにもきょうだいを连れてきていて、これから
夕饭も用意しなきゃなんて言うので大変だと思って闻いてみると、子どもが热を出した
ぐらいでは父亲は帰れないと言うんです。こんな时代になっても育児が母亲に偏りすぎ
ていることを感じました」
伊藤さんによると、最近は小児科を访れる父亲も増えてきたものの、体感としては1割
ほど。背景には固定観念があるのではないかと感じました。
「日本では“母性神话”や“3歳児神话”などと言われるものがあるなど、育児が母亲
に偏りすぎる雰囲気がまだ强いと感じています。そういったものには科学的な根拠がな
いと厚生労働省でも発表しているんですが、それでもどこかで女性が家庭にいて子育て
する、というようなのがずっとあるような気がしていて。そういった雰囲気があるので
父亲の方も『子どものために帰ります』と言いづらい雰囲気があるとずっと思っていま
した。男性が育児に関わることについては、子どもの学习能力や自己肯定感に寄与する
という论文もあります。父亲が外で一生悬命働く後ろ姿だけでなく、半々でなくてもい
いので関わるという姿势は非常に大切だと思い、また同じ时期に読んだフランスの少子
化対策についての本を参考に、“育児の共有”ということばを思いつきました」
“育児の共有”を学びたい 大学院へ
そうした中、近くに夜间や土曜の讲义があって社会人も通える大学院があることを知り
ます。“育児の共有”についてもっと学びを深めてみたい。2017年、伊藤さんは公立の
福冈女子大学大学院を受験し、合格。晴れて大学院生になりました。
大学院では各国の育児政策について研究したり、福冈市内の住民にアンケート调査を行
ったりして、どうすれば日本で“育児の共有”が进むかをさまざまな角度から考えまし
た。そして见えてきたのは、育児の共有を进めたい人が多くても进まない现状でした。
「アンケート调査を行ったところ、男性の育児参加の第一歩となる育児休业について、
男女ともに7割以上の人が必要だと思っていると回答したんです。でも、社会や企业の
理解がなくてできない。それと同时に男女の赁金格差が大きいから、なかなか男性侧が
育休を取れないと言うんです」
「産後パパ育休」への期待
そんな伊藤さんがいま期待しているのが、ことし10月に始まった「産後パパ育休制度」
です。子どもが生まれて8周间以内に最长で4周间、2回に分けて、男性が育休を取得で
きます。育児や仕事の状况にあわせて育休を取得できる、より柔软な仕组みに注目が集
まっています。
「とても画期的な制度で、期待しています。男性が育休を取ることは子どもの诞生时か
らの“育児の共有”が进む大きなきっかけになりますし、男性育休が当たり前になるこ
とで职场の合理化も进むのではないでしょうか。今までは育休は女性が取るものとして
、最初からこの女性はそんなふうだなというような、いわゆる“マミートラック”のよ
うなものがあったんですが、男性も取っていくとなると社会全体でそのシステムを考え
なければならなくなります。职场の効率化も画期的に进むのではないかと期待していま
す。一方、韩国のように100%の休业补偿を出すといった収入面でのサポートなどもま
だまだ充実させる必要性があるとも感じています」
駆け抜けてきて 家族のいま
医师として、母亲として、全力で駆け抜けてきた伊藤さん。现在は长男にクリニックの
院长を任せ、自身は検诊や予防接种などを主に担当しています。
小学生のころ、「私は家にいる普通のお母さんになる」と言っていた长女も、働く伊藤
さんの姿を见て资格をとり、共働きで子どもたちを育てています。
そして国民的な歌手になった次女のMISIAさんも「一生、歌い続けていきたい」と话す
など、悬命に働き続けた伊藤さんの姿势は确実に受け継がれているようです。
一方、ときにはぶつかり合い、ときには仕事上のパートナーとして支え合ってきたとい
う夫は。
「夫は子どもたちが小さいころ、こちらが両立で大変だということはわかっていたと思
います。今になって『もっと自分が子育てに関わろうと思えば関われたんだけど、もっ
たいなかったと思う』と言っていますね。ただ、対马でも、开业してからも、仕事の上
では最高のパートナーで、だからここまでやってこられたのだと思います。いつも私が
夫に冗谈で『もし生まれ変わったら、今度は草の根を分けても探し出して、今度は妻に
してあげる』と言うんです。すると夫は、『そのころには时代が変わって、やっぱり妻
のほうがよかったって言うかもしれないよ』と答えるんですよ」
若い世代に伝えたいこと
「走り続けて、もうやめようかと思ったこともありましたけども、とにかく仕事を続け
ようっていうふうにあがきました。そういうとき、実は助けてくれる人が现れてくるん
ですよね。だからそういう悩む力っていうんですか、あがくっていうことが周りの力を
引き寄せて続ける力になりました。若い世代に伝えたいのは、人生何があるかわかりま
せんから、男性も女性も経済的に自立するという意思を持って、结婚しても子どもが産
まれてもどんな形でも仕事を続けてほしいということです。高校生などの段阶で男女共
同参画に加えて育休の制度についても学ぶ机会を持ち、育児は共有するという意识を持
ってほしいですね。まだまだ子育ては母亲の责任というような固定観念が根强く、いろ
いろ心配される方もいると思うんです。でも特に共働き家庭で母亲の苦労を见て育った
世代には、夫妇で育児を共有して子どもを育てていって新しい未来が开けるということ
を伝えてほしいですね。意志をもってあがいてもがいていただければ、きっと道は开け
ると思います」
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